2020年5月17日日曜日

新しい夏のはじまり



摂氏25度の5月の晴れた夕方5時ごろ。
こんないい天気のブルックリンは、夜8時を過ぎても明るくて、通りから南米の音楽が流れてくる。私は近所のチャイニーズ系のデリで6本パックのハイネケンを買って帰る。

そんな風景を、東京目黒のマンションで、ブラインドから入るオレンジ色のやわらかい日光を横目に、一人思い浮かべていた。

夏の始まりの明るい夕方に、白ワインを飲むのが好きだ。

今朝はあまりに天気がよくって、行ったことのない近所の公園まで散歩をした。林試(りんし)の森公園。今から約120年前に作られたというその公園は、都会の住宅地の中にあるとは思えないほど鬱蒼とした森が生い茂っていて、そこは、私がブルックリンに住んでいた時にお気に入りだった公園、ベイリッジのOwl’s Head Parkみたいだった。

公園の中を一人歩きながら、東京での生活も悪くないかもしれない、と思った。

東京での新生活を否定し続けたこの直近の2年間は、忘れらない恋人にダラダラと未練をもつ私の悪い癖と同じで、頻繁にニューヨークに通い、昔の友達や男の子たちに会い、まるで日本に帰国したようには見えないかのように過ごすのが、私の生きがいだった。

でも、それもこのパンデミックで、一旦休止になった。

私がニューヨークに渡航できるのは最低でも1年後くらいなものだろう。それ以上に、目標としていた再移住は、パンデミックによるアメリカの人口の14%、2,000万人以上と言われる高い失業率も加わってさらに高い壁となった。

ビザだけではなく、渡航自体もいつできるか分からない状態。現地で暮らす人も明日の生活が分からない状態のニューヨークは、当たり前だけど今までとは全く違った場所になっているんだろう。

もちろん人と人との繋がりだったり、地域のスモールビジネスを応援する取組みだったり、ニューヨークの素敵な部分はたくさん残っているはずで、それがあるのもニューヨークの人が地域に根付いて、地域のためにアクションを起こしているからにならない。

私は東京のために何かできているだろうか。

自分の住んでいる場所には関心を払わずに、根なし草のように国と国を飛び回って、観察と消費をしているだけの生活。

そんな生活は、もう今年はできない。
そしてそんな生きがいの価値観は、もはや古くなってしまったように感じる。
"旅をするように生きる"、ノマドワーカー、ヒッピー...

場所から場所へ移動する生き方ができなくなった今、旅行以外に自分の好きなものを他に見つけるしかない。

身近な生活に目を向けるしかなくなった。

それは現在と向き合うことでもある。
ニューヨーク生活を送っていた過去や、次の旅行の計画と行った未来ばかりに目を向けすぎて疎かになっていた現在。

また、新しい扉が開く気がする。



Owl's Head Park in Bay Ridge, Brooklyn

イーストリバーならぬ、大西洋が一望できる公園。

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