2024年3月24日日曜日

インド旅行記 4日目ジャイプール

 ジャイプール、ハワー・マハルへ



時差ボケもあってか、朝は7時頃に目覚めた。
日本はインドより3.5時間進んでいるので、実質体内時計は朝の10:30。日本からインドに行くと、日本の体内時計を引きずって自然と早寝早起きになるので、健康で良いかもしれない。

宿の朝食は8:30からなので、朝食の時間まで宿周辺の旧市街を散歩することにした。


牛も朝食タイム。牛なのか私なのかを、2階から見守る老婦人の目が優しい。


登校前のキッズたち。父親の姿がいないのは、近場の公衆トイレ(囲いなし、外から丸見えのまさにオープントイレ)で用を足しているせい。



ジャイプールには、色とりどりのパステルカラーと蓄積されたくすみのミックスが非常にいい味を出している壁や扉があちこちにある。

バザールがまだ開店していない時間帯なので、店に集う人や観光客がいない静けさはあるものの、仕事に向かう人や朝の一服をする人たちで賑わっていた。
朝の風景を堪能したあと、宿に戻る。



この日の朝食。シンプルだが美味い。朝はチャイで始めるのが習慣になった。


やっとハワー・マハルの入り口へ


お腹も満たしたところで、「ジャイプールといえばまずここ」な一大観光地、ハワー・マハルへと出発。

宿からは徒歩10分もかからない距離だが、さすが観光地ジャイプールの朝10時台。
道という道、道路という道路が人、車、バイク、オートリキシャー、自転車、露店などあらゆる物で縦横無尽に埋め尽くされ、交通ルールなど存在しないかというくらい、混み合っている。

人を押し除け、店先の客寄せを振り切り振り切り、信号など存在しない車道をタイミングを見計らって渡りきり、やっとのことでハワー・マハルに着いた頃には、心も体も疲れ切っていた。

入り口でチケットを買う。外国人は一人500ルピーで、インド人は20ルピーとのこと。(2023年12月時点)

門をひとたびくぐると、外の喧騒とは正反対の、パステルカラーのウェス・アンダーソン調のマジカル世界が現れた。

ハワー・マハルの入り口付近。




柔らかいイエローとブルー、ピンクの組み合わせがとにかくかわいい。


宮殿の塔の中にはステンドガラスも。ヨーロッパとイスラム文化が交差するような不思議な世界観。


おしゃれなインド人の男の子。




12月の青い空にピンクの城壁が映える。


このインド旅行のために新調したミラーレス一眼で、写真を撮る手が止まらなかった。


猿はジャイプールの至るところに現れる。



インドで注目を浴びる日本人


もちろんハワー・マハルはインド国内でも指折りの観光地で、外国人観光客に加え、インド人観光客もたくさん来ているようだった。

インドの観光地にいるインド人は、大きく二つに分かれると思っている。
地方から来たインド人と、都会から来たインド人だ。

私はヒンディー語もインドのどこの言語も話せないので自分の勝手な勘でしかないが、両者ははっきりと異なる特徴があり、それは服装が異なるということだ。

地方から来たインド人は、カップルや家族であればほとんどの女性が伝統的な衣装、サリーを着ている。反対に、ジーンズにTシャツなど欧米人とほとんど変わらないラフな服装をしているのは都会のインド人だ。

都会のインド人は、私のような外国人を見てもほとんど一瞥もくれないし、注目もしない。
反対に地方のインド人は、大変な興味を示す。

これは、色々なブログ記事を参照するに、日本人やインド人とは外見の異なる外国人(白人など)にはあるあるらしい。

いわゆる、外国人はインド人から写真を一緒に撮ろうというお誘いを受けまくる。

私はインド旅行は2回目だが、ジャイプールやこういった「観光スポット」に来るのが初めてだったため、この写真のお誘いに最初は疑いしか持たなかった。

1組目はインド人男女のカップルで、女性はサリーを着て目には青いカラーコンタクトを入れていた。
Can you take a picture with us? と丁寧な口調で聞かれた時、てっきり二人の写真を撮ってくれと頼まれたと思い、かつスリにも咄嗟に対応できるよう身構えた自分がいた。

だが、私と一緒に撮りたいということがわかり、握手を求められ、最後にどこから来たのかまで聞かれた頃には、ようやく状況が掴めるようになった。

そんなこんなで訳もわからず、宮殿を探検しているうちに、さらにもう1組、もう1組と写真を求められ、ちょっとしたミッキー状態になってしまった。

このミッキー状態を招いたのは、私がインドで注目に値するアジアンビューティーだったなんてことでは決してなく(そう信じたかったが)、午前中のハワー・マハルには、地方から来たアジア人を見たことがほとんどないインド人が集っていたから、というのが正解だろう。

結局男女カップルや若者グループなど、全部で10組以上と写真を撮ったあたりで、私はもはや撮影にも慣れてしまい、話しかけてくる人には「はいはい、写真ね。OKOK」と二つ返事で返すようなイケすかないエセインフルエンサー風味を帯びるようになっていた。

ただ、日本ではこんな経験はしたことがないので、ちょっと自意識過剰だが、誇らしい気分になっていたのは否定できない。

Tattoo Cafe & Lounge で思い出に残る写真を


だいぶ歩き回ったので、午後の強い日差しを避けるために、ハワー・マハルの目の前にある有名なカフェ、Tattoo Cafe& Loungeへ。

ここでは、屋上にあるテラス席から、Instagramで一度は目にしたことがあるだろうハワー・マハルの正面からの写真が撮れることで有名だ。


カフェでは、サンドイッチやピザ、飲み物がオーダーでき、どれも日本のカフェで頼むのと同じくらいの価格帯。
だけども、この景色を思い出に残すためには、訪れる価値ありの場所である。

次の日は、少し旧市街から足を伸ばしてAmber Fort(アンベール城)に向かうことにする。

2024年1月3日水曜日

インド旅行記 3日目ジャイプール

 ムンバイから約2時間。午後5時頃にジャイプールに到着。

またもや今夜の宿まで空港の配車サービスを使う。

約1時間程の距離で600ルピーだったので、当たり前だが40分の距離で1200ルピーと言われたムンバイよりはかなり物価が安いことがわかる。

とはいえ、600ルピーもかなりふっかけられた値段には違いない。

人懐こく商魂たくましいが、都会らしいドライさもあるムンバイの空港スタッフよりは、やや実直そうなスタッフの言い値を信じ、車に乗り込む。

車はすぐ用意されていたので、ホッとした。

ドライバーは無口だがしっかりと仕事はこなしそうな、綺麗な身なりの50代くらいのインド人だった。

ちょうど陽が沈む時間帯で、濃いオレンジ色に照らされたジャイプール空港が美しかった。


ジャイプール空港から市の中心部へ


今夜の宿のある、観光スポットハワー・マハルに近い旧市街まで約1時間。

空港からまっすぐ伸びた道路を、中心地に向かって北へ直走る。

道すがら、ライトアップされた歴史ある門や博物館などの観光スポットに差し掛かり、とても綺麗で「ジャイプールに来たなあ」と興奮した。




宿に近い、Bapu Bazaar(バプ・バザール)に差し掛かると、かの有名なピンク色の門と壁が見えた。



「これぞ、ジャイプール」な建物にテンションが最高潮となる。

この門は、衣類、ジュエリーなど多種多様な店が外周に連なるバザールの入り口で、日本から来た私にとっては、異国への入り口。まるでアラビア世界に飛び込んだようだった。

宿はバザールの内側にあり、入り口を見失わないように、宿のスタッフからはバザールの入り口の番号が告げられていた。入り口で宿のスタッフと集合し、宿に連れて行ってもらう手筈だ。

ドライバーには空港を出発する前に宿に電話をかけてもらってはいたが、着いた先に迎えらしき人は見当たらない。

外は暗いし、人はたくさんいるものの、お世辞にも安全そうな雰囲気は感じなかったため、スーツケースを持って立って待つことに不安を感じ、自力で宿まで行くことにした。


バザールのダンジョンで牛と猿に遭遇


バザールの中は、ほぼ十字路とその内側にさらに入り組んだ小道のような構造なので、事前に写真に保存しておいた地図で到着はできる算段だった。

だが、案の定迷う。

そしてバザールの内部は外周と違って、煌々と照らされた店などはなく、薄暗い民家が密集する。

人は多少通るが、かなり不気味だ。ゴミも大量に落ちている。

そして、至るところに牛がいる。

RPGのダンジョンのように、右へ左へ。角を曲がると牛に遭遇。

外見だけでなく完全に旅行者とわかるスーツケースを引きづりながら、無事に辿り着けるか不安が増してくる。

あまりに不安になったため、人に道を聞こうと、たまたま開いていた仕立て屋さんにいた優しそうな中年女性に声をかける。

私があまりに切羽詰まった表情をしていたのを察してか、親切に道を教えてくれただけでなく、言われた通りの道を歩いていると、急に猿の群れと牛に出くわし、完全にビビって引き返そうとしたところを "No problem, no problem(大丈夫、行きなさい)"と、私の後ろをついてきてくれた。

最初に目が合った一目で優しい人だとは思ったが、異国の、薄暗い野生の動物に囲まれた道りで、オカンのような包み込むような温かさに出会うと、泣きそうになってくる。

インドのオカンが私を送っていってくれた先には、木の長い棒を持って野生の猿を追い払う謎の老人がおり、「こっちじゃ(意訳)」と言うかのように、宿の入り口まで連れて行ってくれた。

絶対に宿に雇われている風ではなく、ストリートに住まう系の老人だったあの人は、宿のスタッフが私を出迎えた後はさっとどこかに消えて行ったのだが、あれはジャイプールの妖精だったのだろうか...。


宿に到着

私が2泊した、中心部にあるJaipur Haveliは、宿のオーナー家族が何代にも渡って住んでいる家を宿にした場所。

とにかく、宿の中のすべてが可愛く、着いたそばから写真を撮りたい欲が止まらない。

宿の一階
宿の一階

宿のエントランス

2階の吹き抜け部分。この上にも2-3階ある。

部屋の中。柄物が可愛い。

シャワールーム


とにかくどこを見ても大好きなものだらけで、夢心地な気分であった。

とはいえ、かなり疲れてもいたので、なぜか勝手に用意された夕食(しかも有料。あまり食欲はなかったが)をかっこんだ後は、早めに就寝した。

明日は早起きをして遂に大本丸の観光スポット、ハワー・マハルに向かう。

インド旅行記 2日目ムンバイ

 充電器を探す


インド2日目。
ホテルのテラスで朝食とマサラティー。初めて食べるものばかりだったが、意外とおいしく、今後ハマりそうな予感。

野菜や豆でできていると見られる朝食


朝食後は、iPhone充電器とSIMカードを探しに街へ。
あまりに遠くに行き過ぎると、帰り渋滞にはまって飛行機に遅れそうなので、近場のBandra WestかVile Parle周辺のショッピングモールを目指す。

オートリキシャーを拾ってBandraのショッピングセンターを目指すも、それらしきものが見当たらず。午前10時台だったからか店はほとんど空いていない。
ネット接続できないので、道行く若者にWifiを借り、現在地を特定してもらう。
Brandra Westは、ムンバイの高級住宅地かつ流行発信地のため、アッパーミドルクラス以上の住民が多く、英語を話せる人(服装や雰囲気を見るとまあまあ特定できる)に遭遇する率が高い。

ちなみに脱線するが、個人的な感想で言うと、Bandra Westは高級住宅地と言っても、日本でいうところの「高級」のイメージとは少しずれる。
ヨーロッパの街角かと見間違うかのようなお洒落なマンションやカフェ、レストラン、ブティックは点在するが、少し歩けば、果物や野菜を売る露天商や、貧しい人たちのバラックの家、のっそりと道に居座る牛、などに出くわす。ラグジュアリーと貧困が隣り合わせになっており、さらにお互いが干渉もせず、興味も持たず、それぞれがただ存在している、という感じに近い。

そして歩道には犬(と思いたい)の落とし物が無数にあるので、下を向いて歩くのが癖になってくる。
もちろん、ムンバイの他のエリアに比べると、気持ち的に街歩きは格段にしやすい場所だが、日本や欧米の「高級」さをイメージして降り立つとかなり面食らうと覚えていた方がいい。

とまあ、そんな場所なので元々そこまで期待はしていなかったが、ショッピングセンターは見つからなかった。


そんなわけで、とりあえず周辺を歩いているとようやく、合法か非合法なのかよくわからないグレーゾーンな露店の携帯ショップ(こういうのはインドに無数にある)を見つけた。
USBケーブルは持っていたので、プラグ部分だけをくれ、と頼んでそれでもだいぶ、現地基準でいうと増し増しな金額で購入。

ムンバイに来ると、移動やら買い物やら、大体切羽詰まっていて、お金で不安をすぐ解決しようとしてしまう悪い癖が出る。
ただ、充電器があるという安心感はものすごい。あと9日間をモバイルバッテリーとホテルのWifiのみで過ごすのは心持たないから。


Vodafoneショップで粘る


次はSIMカードだ。
Airtelはインドの大手キャリアというのもあり、なかなかルールが厳しそうだったため、別のキャリでの購入に狙いをつける。
 Vodafoneで売ってもらえた、というブログ記事を昨晩目にしたため、Vile ParleのVodafoneショップを目指す。

Vila Parleは、空港の西側に面したエリアで、中間層の住む郊外の住宅地というイメージ。小さな店が多い。
Prime Mallという、ショッピングモールらしき場所にあるVodafoneショップへオートリキシャーで向かう。
Bandra Westでオートリキシャーを捕まえる際、ドライバーにPrime Mallという目的地の場所がなかなか通じず困っていたら、英語を話す住民らしき人が2−3人集まってきて、ヒンディー語でドライバーに行き先と道を伝えてくれた。

今回の旅で気づいたのだが、オートリキシャーのドライバーは、英語のみならずヒンディー語の読み書きができない人も多いようだ。
口頭での巧みやコミュニケーションがいかに大事かを思い知らされた。

現地のナイスな人たちにオートリキシャーのメーターの仕組みも教えてもらい、ちょっと安心してPrime Mallへ到着。

こちらもまた「ショッピングモール」のイメージからは若干遠いが、電化製品や中古携帯ショップが密集した、田舎の小さいドンキホーテのようなモールであった。

やっと辿り着いたVodafoneは、閉まっていた。

それどころか隣の店、美容院や占いやらも軒並み閉まっていた。
やはり日曜というのが関係しているのだろう。

一軒空いていた店の親父さんに、Vodafoneはいつ開くのかと聞くと、「大体11時前には開くと思う」の返事だった。
ということは多分開くとしても12時だろう、と思ったが、とりあえず30分は待ってみようと周辺を彷徨くことにした。

こんなドンキホーテのようなモールであっても、出入り時にはセキュリティがおり荷物検査があるので、一旦出るともう一度入るのがちょっと面倒くさい。

外に一歩出ると、服屋やレストランが並ぶ賑やかなIrla Vila Parle Roadに出る。
ここでも外に立っている若者に、SIMカードはどこで手に入るか質問するなど、頭の中はSIMカードでいっぱいであった。

30分以上は待ってみたが、Vodafoneは開かなかった。
諦めてホテルに戻り、空港へ向かう支度をする。

午後3時の便で、ムンバイから北へ約2時間離れた、ラジャスターン州のジャイプールへ向かった。




インド旅行記 1日目ムンバイ

インド一人旅再び 


人生二度目となるインド一人旅は、再びムンバイから始まった。

インド最大の商業都市であり、金融と映画産業の中心地でもある。

映画『スラムドッグ・ミリオネア』で舞台となったこの大都市は、富と貧困、新と旧、西洋と伝統、あらゆる多様性が共存するカオスな都会で、インド好きの私にとっても個人的に思い入れの強い場所である。


ムンバイのチャトラパティ・シヴァージー国際空港


5年半ぶりとなるインド旅の主な目的は、北西インドのラジャスターン州の古都、ジャイプールを訪れることだった。

ウェス・アンダーソン監督のインド舞台の映画『ダージリン急行』でも注目を浴びたジャイプールは、ピンク色やパステルカラーのフォトジェニックな城壁や家々が立ち並び、「ピンクシティ」とも呼ばれる。そこにどうしても行きたくてたまらなくなったのが2023年の4月。

北インドのラジャスターン州は、3〜5月の気温は40度超すのが日常なため、街歩きが困難な暑すぎるこの時期を避け、気温が10〜20度の過ごしやすい11〜12月の乾季になるのを待ち侘びていた。

そして、12月中旬。成田空港からムンバイへと旅立った。

ANAでムンバイへ


航空券はマイルで購入し、ANAを利用。

行きの乗客は、ほとんどがインド人。

インド人はベジタリアンが多いため、CAがベジタリアン用の機内食をオーダーした人に対して、一人ひとりに口頭でチェックした上で、配布が始まる。

順番が決まっているのかどうか不明だが、私が食べるようなノンベジタリアン用を全て配布した上で、ベジタリアン用が配布されたため、非常に時間がかかっていた。

ベジタリアン食が配布される頃には、ノンベジの人はほぼ食べ終わっているような時間帯で、ベジタリアンの人に少し気の毒に感じた。

そんなこんな言いながら、約11時間でムンバイに到着。


どこらかしこにもいるインド土着の犬たちがお出迎え。


SIMカードが買えない


私は海外旅行では、基本的に事前にSIMカードを買っておく派なのだが、今回は、私のインドでの滞在期間と欲しいデータ容量に合うSIMカードが見つからなかったため、現地空港で買うことにしていた。

事前に入念にネットやRedditの情報で、ムンバイの空港にSIMを売るAirtel(インドの大手携帯キャリア)があることは確かめていたのと、前回のインド旅行でも空港でSIMを購入したため、今回も自信満々で夕方空港に到着。

入国審査を経て、出口を出てまっすぐ行った際にAirtel発見。

手書きの貼り紙に、"Indian nationals only" (インド人専用)とあったので「まさか」と思ったが、一応店員に尋ねてみる。

するとやはり、SIM購入にはインドの電話番号が必要、とのこと。

"City, city!"(街で買って!)

と追い払われた。

(いやいや、国際空港でSIMカードを必要とする人間は基本的に外国人だろうよ...)と心の中で悪態をついたが、気を取り直して、とりあえずホテルまで行くことにする。


高いタクシー代


前回のインド旅では主にUberかOla(インドの配車サービス)を使って移動していたため、今回もそれに頼るつもりでいた。
ただ、今回SIMがなくインターネットに全く繋がらなかったため断念し、空港にあるタクシーの配車サービスを使うことに。

空港で依頼するタクシーが、流しのタクシーよりさらに高いのは予想していたが、値段を尋ねるとなんと40分の距離で1,200ルピー(約2,043円。2024年1月現在)。

Uberだと、高くても200-300ルピーの相場のため、通常料金より相当ふっかけられているのがわかった。
ちょっと安くならないかと言ってみたが「混んでいる時間帯だから」と言い切る。
とりあえずSIMがない不安と一刻も早くホテルに着きたい欲で、タクシーを呼んでもらうことに。

金額と行き先が書かれたピンク色の紙を持って、地下のタクシーエリアへ。
インドでは、タクシーやオートリキシャーの運転手は英語を話さない人が多いため、英語の話せる受付係の人に、こうやって行き先などを、手書きや現地の言葉で事前に伝えてもらえるととても助かる。

冷房の効いた空港内から外のタクシーエリアに出ると、むっとした湿度と気温が押し寄せてきた。
ああ、インドに来たなあという感じ。

「ここで待て」という場所で待つこと30分。タクシーが来ない。

タクシー運転手らしき男たちはわらわらとそこら辺で雑談しているが、私用の車を出してくれる気配はない。
声をかけてみるが ”10 minutes”(あと10分)と言われるだけ。

しまいには、私より後に来たように見える白人の中年男性を、先に車に乗せ出した。
そこで、堪忍袋の尾が切れた私は、運転手らしき男たちにずんずん向かって、文句を言う。

彼らは英語をそこまで話さないので、何か彼らの言葉で反論してくるのはわかるが内容が理解できない。

あまりに私が不服そうな態度を出していたのを察してか、一人が椅子を持ってきて、ここに座って待てと合図した。

そうしてしばらくすると、やっと私のタクシーが来た。

冷静になって考えみると、私にあてがわれた車は事前に決まっていて、その車が空港への道の渋滞にはまって到着が遅れたのだろうと思った。

夜のチャトラパティ・シヴァージー国際空港

ムンバイの陽気なドライバー

乗った車のドライバーは、英語を話すフレンドリーな中年男性だった。
「日本はテクノロジーが発達した国だ」と、自分の車がSUZUKIであることを私に知らせてくれた。
私はタクシードライバーと雑談をするのが好きな方で、今回のドライバーのように、人と話すのが好きで、さらに他国の文化にも興味を持っている人に当たると嬉しい。

ムンバイはいつ何時でも渋滞している


大学出の知識階級ではなく、その道何十年のドライバーから聞く話はリアリティに溢れ、本音以外の恐らくだいぶ盛った話も混在しているだろうが、井戸端会議を耳にしている気分になる。

ドライバーは「日本は良い国だ。インドはダメだ」と笑いながら話した。
私が、「ムンバイにももうすぐ新幹線が通りますね」と言うと、嬉しそうに建設の進捗について語ってくれた。

私がSIMカードを買えなかった話をすると、空港周辺のマーケット(露店)を指差しながら「こういうところなら電場番号なしでも買えるよ。買ってこようか?」と提案してくれた。
ただ、初日からややこしい交渉ごとに巻き込まれるのも厄介だったので、やんわりと断り、そんなこんなでホテルに到着した。

充電器がない


ホテルはアラビア海に面したムンバイの高級住宅地の一つであるJuhu(ジュフ)にした。
次の日の午後には、また空港に戻ってジャイプールに移動するため、空港に近いところが便利だと思ったからだ。

そこで、iPhoneの充電器を自宅に置いてきたことに気づく。

日本からインドのプラグの変圧器兼アダプターはしっかりと持参してきたのに、充電器を忘れるとはあまりにもうっかりしていた。

ホテルの受付でもiPhone充電器は貸し出していないと言われたので、アメリカにいるインド人の友達に相談し、マーケットいわゆる露店で入手することに。
次の日は日曜のため店が空いていない可能性もあると心配されたが、なんとか充電器とあわよくばSIMカードが手に入ることを祈りながら就寝。

2日間は、ムンバイからジャイプールへ移動する。


Juhuのホテルから見たビーチ