2018年9月17日月曜日

くそまじめな私がインドに惹かれる理由

明日会社行きたくない…
と思うと自然とインドのスタンダップコメディを見てしまうKumiです。

日本は今9月の3連休まっただなかで、明日は休み明けの出社になります。

昨年までアメリカで勤務していた身からすると、こんなにしょっちゅう連休がある日本をもっとありがたがってもいいのではと自分で思うのですが、むしろ休み明けの辛さは日本の方が辛く感じる…

何だろう、この喪失感は。

まあ、それは置いといて。

私が友人に仕事や生活について色々と愚痴ったりすると
「Kumiはまじめだね」
と言われてしまうのですが
いや、その通り真面目が唯一の取り柄といってもいい人間です。

まじめすぎてどうでもいいことで悩む。
くそまじめゆえに先のことを考えすぎて自爆する。

思い切りはいい方ですが、考えすぎて自爆するという恋愛パターンを幾つになっても繰り返し32歳の今まで大きな恋愛もせず、独り身です。

独身ということで悩んだことは特にありませんが
まじめすぎて心身を自分で悪くするのはよくないだろうと。

ニューヨークで仲の良いインド人にしょっちゅう言われていたのが
Don't overthink! (考えすぎるな)

なのですが、今でも袋小路に入るたびにその言葉を思い出してハッとします。

言われた当時は、5−7歳も歳の離れた若造に何でそんなことを言われなくちゃいけないんだとムッとしてましたが、実際その言葉は本質をついています。

過去や未来を考えすぎて、今の自分を不幸にするなと。

まあ、肩の力を抜いてちゃらんぽらんに今を楽しめと言われても、はいそうですかと自分で自分をちゃらんぽらんさせられないのがくそまじめ人間の性分で、そんな訳で、自分が変わるより、無理くり外の環境をちゃらんぽらんなものに変える。自分自身を、自由でオーガナイズされてない破茶滅茶な環境に置く方が、何倍も簡単にリラックスして生きられるのが私のようなくそまじめ人間なのです。

つまり私がなぜニューヨークやインドで暮らす事に惹かれるか、というのはそこに理由がある訳です。

私はニューヨークの暮らしにとても満足していましたが、そこに苦労がなかったといえば嘘になります。

毎日毎日言葉や文化の違いの壁にぶち当たりましたし、自分が「ここに属している」と感じられるようになるまで何十年ここで暮らす必要があるのだろうと絶望的な気分になったこともあります。

でも、ストレスの面からいうと、私はとてもリラックスして日々を生きていたと思います。

29歳で渡米し、周りの友人は皆が皆年下ばかりでしたが、自分の年齢を意識することもなく、「日本人だから、30代だから」という社会的な束縛から自由になり、日常を一つ一つ楽しみながらやっていました。

働けども働けども給料は上がらないし、変な危険な輩に出くわす可能性も高いし、掃除をされているのちゃんとメンテナンスされているのかよく分からないボロボロの地下鉄を毎日使うことへの不安。

そんなニューヨーク生活への不安や欠点をあげたらきりがないですが、少なくとも、私は、今の自分よりとても幸せで、向上心に満ちていて、世界中の人が集まるニューヨークで暮らすことで、世界という社会へ参加しているという気持ちが生きていることの充足感に繋がっていました。

一方、東京は、外部の環境がとても整っており不足感がなく、平和です。

役場や大企業など使っているシステムは古く、IT化進んでないため効率が悪いところが多々見られますが、それを扱う人たちがまじめでマニュアル通りにオーガナイズされているので、システムが古くともちゃんと機能しています。

そう、むちゃくちゃ整った環境だと思います。
公共のトイレなんかもありえないくらい綺麗だし。

多くの人が「日本人」という同じルールに沿って、輪を乱すことなく生活している空間。
それが私が東京に持っている印象です。(私は高知の出身です!)

だからこそ、私みたいなくそまじめな人間はますますそのルールに縛られくそまじめ化して自爆します。

自分がしんどいのを環境のせいにするな、ということは十分承知で、くそまじめな人間はその言葉をまじめにとらえるので、心身が疲れ切っても環境のせいにできず、自分を責めることで、ついに動けなくなってしまいます。

何をやってるのでしょうね、私は。

私はインドのスタンドアップコメディに幾度となく救われています。

日本のお笑いは、日本人にしかうけない笑いという側面があって好き嫌いがあるのですが、基本的に話一本で勝負するスタンドアップコメディは好きです。

インドのコメディアンは、社会でタブーとされてきた宗教やカースト、恋愛といった話題を笑いに変えることで、今も社会や家族のルールに縛られて生きているインド人の心を救います。

それに救われている日本人がここにいることをインドのコメディアンは知っているだろうか!

インド人としての人生は、日本人よりよっぽど周囲からのプレッシャーや責任が大きく、また社会と家族という彼らにとって一番大きな存在が常にのし掛かってきて大変かと思うのですが、インド人は重い人生をなんとか軽く明るく見せる、という考え方の切り替えがとても得意な人たちだと思います。

また、幼い頃から、自分とは違う生活環境や宗教、習慣を持った人々が周囲にいるので、自分の常識が相手にとっての常識でないということをよくわかっています。

だから、相手が納得するまで交渉するし、自分の意見をはっきり伝える。
伝えないことには、何も始まらない。

それは時にうっとうしく、時間がかかり、イライラし、骨の折れる作業ですが、私が今求めるのはそちらの方です。

「皆が違う」という前提の元に成り立っている世界です。

インドのコメディに癒される話をしようとしようと思ったのに、また随分別の話になってしまいました。

最後に、私が敬愛するインドのコメディアン、ケニー・セバスチャンのスタンダップを紹介して終わりにします。

インドのミドルクラスの家庭とアッパークラスの家庭の、レストランでの振る舞いの違いについての話。笑える話ですが、何よりケニーのゆるい話口調に癒される。



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